曲突徙薪(きょくとつししん)第5号
気になるアイツ 〜「くん呼び」文化の将来〜
高収益企業として知られるキーエンスの強さを取り上げた「キーエンス解剖 最強企業のメカニズム」(西岡杏著、日経BP社)が話題です。私も読みましたが、数値化と報告のカルチャー、ロールプレイングによる営業力強化、緻密な在庫管理など、どれをとっても「当たり前のこと」ですが、それを「常識はずれのレベル」にまで突き詰めるところが、同社の強靭な収益力を支えているものと感じました。どんな会社でも、業務改善のプランを立てることは比較的簡単なのですが、これを継続的に実践することは決して簡単ではありません。なかには、すぐに成果の出ない施策もありますが、施策の意味を信じて取り組み続けることには、さまざまなハードルがあります。
さて、最近同書の紹介記事で次のような見出しを目にしました。
「キーエンス、会議の席は入った順 後輩も『さん』付け」
これくらいの取り組みであればどの会社も実践できそうだなと思いつつも、この見出しがキャッチとして成立するということは、世の中の日本企業の多くがいまだに「肩書呼び」「くん付け」文化のもとにあることを如実にあらわしています。私が勤めていた銀行も当時はそうでしたし、お客様として関わってきた日本企業の多くでも、肩書呼びは当たり前、年下男性職員への「くん付け」や呼び捨ても、普通におこなわれているように見えます。
日本企業の呼び方の文化が、ここ数十年単位で見てまったく変わっていないわけではありません。90年代には当たり前だった女性社員への「ちゃん付け」は、いまではほとんど耳にすることがありません。背景にあったのが「ハラスメント防止」の意識の高まりでしょう。参考まで、厚生労働省のパンフレットには、セクシャルハラスメント(セクハラ)の判断基準として以下のような記載があります。これによると、たとえ呼ぶ側に悪意がなく、親しみを込めた表現のつもりでも、呼ばれた女性本人が「意に反する呼び名」と思えば、「ちゃん付け」はセクハラに該当する可能性があります。
セクシュアルハラスメントの状況は多様であり、判断に当たり個別の状況を斟酌する必要があります。また、「労働者の意に反する性的な言動」及び「就業環境を害される」の判断に当たっては、労働者の主観を重視しつつも、事業主の防止のための措置義務の対象となることを考えると一定の客観性が必要です。
(・・・中略・・・)
また、男女の認識の違いにより生じている面があることを考慮すると、被害を受けた労働者が女性である場合には「平均的な女性労働者の感じ方」を基準とし、被害を受けた労働者が男性である場合には「平均的な男性労働者の感じ方」を基準とすることが適当です。
さて、ここで示されている判断基準にて興味深い点の一つが「平均的な女性(男性)労働者の感じ方」を基準に、ハラスメントとなるかどうかの判断がなされるところです。労働者の世代が変われば、当然、平均的な労働者の感じ方も世代相応のものに変わるはずで、企業側はその変化に対応しなければなりません。もう少し具体的にいうと、世代ごとの感じ方の違いを十分に理解した上で、場合によってはこれに歩み寄る必要があります。
こうした観点で、呼び捨てや「くん付け」の文化に、果たして将来はあるのでしょうか。これから社会に出てくる若者は、小学校から男女を問わず「さん付け」で呼ばれて育った世代です。ちゃん付けは論外として、呼び捨てやくん付けについて、これまでの世代と変わらぬ親しみや信頼を感じてくれるのかというと、私は甚だ疑問に思わざるを得ません。
そもそも、労働者本人の意に反するか否かはさてき、一方的な呼び捨てやくん付けによる呼び方には、人間関係を年齢の順序にもとづく「上下関係」として固定化する効果があります。業務内容やスキルとは無関係な「年齢」によって上下関係を決めるのは、年功序列の文化そのものです。そうした組織では、若手社員が年配社員の上の職位につくこと自体、呼び方の順序と齟齬をきたすことになります。これは、抜擢人事のハードルを知らず知らずのうちに非常に高いものとします。また、呼び方によって下位に置かれた側は、上位に立つ側に何か意見することについて、相当なストレスを覚えることとなります。いまでは地方銀行も含めた多くの日本企業が、何らかの形で能力主義を掲げています。また中途採用の積極化によって、仕事上の上下関係と年齢の関係とが整合しないケースも増えています。一方で、依然として続く「肩書呼び」「呼び捨て」「くん付け」には、従業員の意識レベルでは年功序列のカルチャーが何ら変わっていない実態が、はっきりとあらわれているように見えます。
キーエンスの中田社長は同書のインタビューにこう答えています。
「肩書ですか? 全く使いませんね。会議の席次も、部屋に入った順番で決まります。入社年次も気にしない。全員が全員に丁寧語で話しかけるので、年上か年下かで言葉遣いを変える必要もありません」
ごく当たり前のことに徹底して取り組むのが同社の強みと言いましたが、報告の徹底、在庫管理の徹底といった大掛かりな仕組みづくりをともなう施策に比べれば、呼び方を変えることの徹底がそこまで難しいものとは思えません。同社以外でも、実際に大手損保のなかには、社内通達で「くん付け・ちゃん付け」を禁止しているところもあります。
優秀な若手人材が足りないと嘆く人事担当のみなさん、あるいは健全な職場環境のサスティナビリティ(持続可能性)に配慮すべき立場の管理職のみなさん、これからの世代にとって魅力ある職場づくりの一環として、若者を無意識のうちに差別し、年功序列のカルチャーを固定化するような、「肩書呼び」「呼び捨て」「くん付け」といった呼び方の現状をまずは見直してみてはいかがでしょうか。
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